今日は夫のお供で、市民農園で育てたジャガイモの収穫に行った。
数個の種芋から結構たくさんの収穫があった。
それから、大根とサニーレタスが収穫時期にあるため、近くに住む伯母に電話をして必要かどうかを聞いて、大根二本を持って行った。
86歳の伯母は、金柑を煮て瓶に詰めて私に持たせてくれた。
私にとって、伯母は幼いときにかわいがってくれた大好きな存在だ。
年末なので、わずかばかりのお年玉を渡した。
伯母はいつも辞退するけれど、私にとっては亡き母にできなかったことをしているだけのこと。また来年もげんきで渡せると良いなと思う。
幼児期に伯母は、流行していた抱っこちゃんを買ってくれた。
小学校に入学するときには赤いランドセルをもらったし、お正月には大きなゴムまりを抱えてきてくれた。
我が家の子どもたちは「ガムおばさん」と呼んでいた。
小父がパチンコ大好きで、伯母は付き合ってパチンコの景品のガムをたくさん(半端ない量)持ってきて、子どもたちに度々くれたらしい。
今、母が生きていたら、いくらかのお年玉をあげられたかもしれない。
母の存命中は、仕事や子育てに忙しく(いいわけだな)、母に何かと求める一方だったような気がする。
一度もプレゼントやお年玉なんて渡した覚えがない。
姉二人は、母の生きた年齢を越えた。私はもう少しだが、越えられるだろうか?
母が70歳を越したときいった言葉を忘れることができない。
「やっと安心して医者に行ける」という言葉だ。
そんなに経済的に窮していたのだろうか?と思って胸が詰まった。
71歳を迎えることなく逝ってしまった。
いまや後期高齢者の窓口負担割合は2割(3000円以内になるよう配慮有)となり、70歳でも働けるうちは働け・・・という世の中だ。
私は、63歳ぐらいで早期退職をした。
60歳ともなれば視力・聴力・記憶力・集中力も落ち、安全で確実な労働は危ういのではないかというのが実感だった。
タクシーに乗ったとき、自分より年上のドライバーだとちょっと不安になったりするが、いいのか?そんな世の中で?